どうでもいい

 ○ アメーバブログ雑感

 ちと創作ものがいろいろあったのと、どうも自分の文章力に限界を感じつつあったというか限界を当初から認識しつつも騙し騙しやってたのがあって、とりあえず当「俺様キングダム」以外の場所に晒しておこうと思ったのが夏ぐらい。

 結局なんだかんだで忙しくて、着手できたのが11月だったのだが、アメーバブログを選んだ理由というのは「芸能人ではなく作家を自称する人が前のほうに出ているブログサービスだったから」というだけ。その作家の一人ひとりは誰も知らんのだが、そういう作家を見て集まってくる読み手やブログの書き手は、きっと目が肥えていて、このサイトとは違った反応があるのではないかなと期待していた。

 さっそく「ブログにご意見」とか愉快なブログに遭遇したのだが、なんかタイミング悪く先方が店をたたんでしまった。まあ、それ以外でもほかのアメブロの人からの読者登録とかが来るとそれはそれで嬉しいものであるが、ほかのアメブロを巡回していると読者リストとかがずらずらっと表示されて、とてもではないが見栄えの良いものではない、というか読み手数を誇るような気がしてまだ承認とやらの作業はやっていないのが現状。そういう承認をしないと相手にとって失礼に当たるようであれば登録しようと思ってはいるのだが、よくシステムと評価が分からない。

 あとになって知ったが、どうもアメーバブログではランキング上位に入ると賞金が出るらしいというのと、思った以上にほかの書き手がアクセスを集めていないらしく、あっさり上位に来てしまったのが意外だった。文芸作品を掲載しようと思っていたので、「本・書評」カテゴリー以外は考えられず、作家が書いてるブログがそこに入っているのだから上位に来ることなどあるまいと思っていたら、先週1位になっているのを見て血の気が引いた。「俺様キングダム」に比べて明らかに来訪者は少ない。デイリーで、だいたい1,700人か1,800人ぐらい、多い日で3,000人ぐらいが「晴れるといいねっ!」にアクセスしている。たぶん「俺様キングダム」を読む層と、「晴れるといいねっ!」みたいな文章を読む層は格段に違うのだろうと思う。

 ○ ランキングと読まれるブログについて

 全体でも25位とかになっているが、コメントを受け付けないでいるから全体ランクが上がらない、不利である、という仕組みであるらしい。というか、そういう話をサイバーエージェントの奴から聞いた。別にランキングを上げたいのでやっているわけではないので、最初のうちは放置していたが、反響を書いてもらおうと思っていたcasTYの掲示板にはなかなか書いてもらえなくて、なんか「俺様キングダム」に書かれたり「切込隊詰所」に置かれたりする。

 仕方なく「晴れるといいねっ!」のコメント欄を稼動させることにした。

 まあ、その場でコメントを書いてもらえばユーザーにとってはそれが一番楽なのだから、それをはじめからやれば良かったのかもしれないけど、個人的に思うのは、それだと単に具の違う「俺様キングダム」が一個増えただけになるのではないかなということである。最近かまびすしい「信者議論」とかもいろいろ影響していると思う、自分のなかでは。

 もちろん「面白かった」と書かれるのは悪い気はしないわけだが、例えば過日の「ブログにご意見」のように「読みにくい」とか「長い、世界観に入れない」とかいう率直な感想を知りたいというのがある。技巧がどうだとか、表現がうんたらというブンガク的なものでなくても、一言二言どうであったと書いてもらえたほうが次に繋がるような気がするのである。

 ○ ブログ上の人通りについて

 ちょっと前の携帯小説もそうだったし、最近だと電車男もだと思うが、ブログだから読める目先の違う文章の書き方みたいなものってどんなのだろうと考えていた。電車男については、まあ、いろいろあるので置くとしても、アメーバブログを選んだ理由としてやはり新しい著作物のあり方を考えていこうという意欲(のようなもの)があるからこそ、タレントではなく作家を呼んでブログを欠かせているのだろうと思ったのだが、同時に土壌のようなものはあるのだろうと思う。

 「俺様キングダム」はこういうサイトであるので、自由に書く反面、なるだけ「晴れるといいねっ!」は別の方法はないだろうかと思って、自分のなかで時間を区切って書き続けてみようと考えたわけだ。それと、あんまり頑張りすぎるとアメーバブログの利用者規定によって書いたものを全部無償で持っていかれかねないというリスクがあるのでずっと手がける気にもなれない。

 単純に言えば、切込隊長、あるいは山本一郎という名前を出さないで書いていこうかと思ったわけである。まったく新しい読み手をということであれば、そっちのほうがカラーはつきづらいわけであるから。が、実際仕事では山本一郎とは出さずに創作ものを続けてきて、いままでと変わらないじゃないかという思いと、「切込隊長ヲチBLOG」とかいうのができて速攻潰れるという頭にくる事件があったことが理由で、「切込隊長ヲチBLOG」が潰れた跡地に「晴れるといいねっ!」を設置した。

 名前を出さないでひっそりとやるという意味では、私のことを知らずにただ内容だけを見て人が集まってくれるかどうかという期待があったのと、「俺様キングダム」の客層が持つ空気感みたいなのから切り離してサブサイト化できるのではないかと思って、しばらく考えていたのだが、結局相互リンクすることにした。

 何のために書いているのだろう、ということを考えると、やはり人に読んでもらうために書いているのだという、極当然の結論によるものであった。だから結局リンクを「俺様キングダム」から貼ったし、最終的に「晴れるといいねっ!」もコメント欄が開放されて「俺様キングダム」と同じブログの形態になってしまった。まあそれでいいか、というのがいまの心境である。

 ○ ネット上のブンガクについて

 たぶんネットに限らないのだろうが、やはりずっと新聞や雑誌を読んできて思うのは、フィクション、ノンフィクションに限らず読者や受け手の読み解く力、観る力のようなものが相当落ちてきているのかなということである。例えば、一般週刊誌ではほぼ毎週のようにワイド特集のような小ネタをやったり、何号にもわたって4p6pと紙面を使う大規模なキャンペーンも最近は不発に終わる傾向が強いという。

 同様に、書籍を見ていても、売り上げとしては「世界の中心で~」や「グッドラック」が記録的なヒットを飛ばしていたし、昔は「プラトニック・ラブ」とかそういう企画ものの単発商品が一定の周期で売れてきた経緯が分かる。別にそれが良いとか悪いとかではなくて、いわゆる商業としてのブンガクと、文壇というか文化としての文学の違いというのが明らかに抜き差しならないところまで来てしまっているのかなと思えるのだ。

 いまの若い人は活字を読まないというが、携帯電話でやり取りしているメールは全部活字だし、社会人になっても読む作業というのは以前と変わらずやっている。本を読まなくなったのは、活字離れではなく、人が活字を通して情報を摂取するルートが本というメディアではなくなりつつあるという点である。メディアである以上、選択肢が用意されて、売れている、話題になっているといわれれば買う。売れてて話題になってないなら本屋にそもそもいかないというのが消費者行動の原点であり、当然のことである。

 では、そういったものが俗に言う表現としての文学に残っていくのかというと疑問は残る。例えば私たちは亡くなった司馬遼太郎とか吉川英治の本とかは普通に読む。おそらく、将来にわたっても村上春樹とか新田次郎とか京極夏彦とかそういう人たちの本を読んでいるかもしれない。でも、純然たるセールスの母数からすると、商業的なブンガクに組み入れられている比重が大きくなって、あまり世代を超えて読まれる文学というのは事業として成り立ちづらくなっている気がする。では「ガッツ伝説」とか「鉄拳」とか通俗的な読み物が、別の意味を備えて将来の世代に共感を与えうるかといわれると悩んでしまう。

 話題性というのは属人性の賜物であって、ガッツという人物と時代を共有しなければその書物が面白くないかもしれないと感じるのと同様、切込隊長つーか山本一郎という人物の属性を
知らん人にどういうものを提示すればいいのか少し悩んでいる。というより自信がない。やはりシナリオやプロットの仕事をやってきて自分なりに頑張ってきたつもりではあるが、ゴーストに甘んじている人でも凄い人は凄い。

 逆に言えば、知らない人や、時代を超えて思いを伝える力が活字にはあるのだと思うし、ブログによる文学というのはメディアが違うが故の別の表現系を利用しながら成立しうる面白い試行錯誤の時期に入ってきているのは確かだ。電車男はセールス努力の割に100万には届かないかもしれないが、それでもある種の2ちゃんねる的なものの総括としては充分な作品となった。たとえそれが単なる流行もので終わってしまうとしても、意義深くはあるだろう。

 その向こう側を見定めたい。というか、霞んで見えない感じがして、すっごく腹が立つ。しかも誰もそういうことをやっているように見えない。仕方がないので、ちょっと自分でも試してみようというのが正直な感想である。