リクエストがあったので。

--

 永遠の命を望まない人間がいるだろうか。

 年を取るたび、あと何年で自分は死ぬのだなあと考え、肉親が老けたのを目の当たりにし、そろそろ結婚を、とか、そろそろ倅を儲けなければみたいなことを考え始める。どんなに気持ちが若かろうと、肉体的な若さを保つことはできない。

 事業も人間とあまり変わらない。企業三十年説なんてのもあるが、ひとつひとつのビジネスを考えれば永続するなどということはありえない。何百年と続いている会社であっても、その環境に事業を適応させ作り変えながら存続していることを忘れてはならない。

 俗に、成長神話と言われるものがある。成長する事業、一人勝ちしている企業はその実態とは関係なく、単に業績だけ見て上がり続けている状態を賞賛される、その現象を総じて神話と呼ぶ。例えば、コンビニ神話、土地神話、もっと広く言えばアメリカの成長神話なんていうのもあるし、中国市場も最近は神話化し始めた。

 ただ、神話と呼ばれるものはおおよそカラクリのようなものが存在している。ビジネスは突き詰めれば情報落差を利用して成立するものであるから、その情報の出所が分かれば神話の正体がどのようなカラクリになっているのか推測することはできるのだ。テレビを作って売るのを見て、往々にして人間はテレビを見るという機能を欲しいがためにお金を出してテレビを買っているんだと思いがちだが、実際にはテレビを作るための情報、テレビで番組を流すための情報、テレビのコンテンツを作るための情報、ほかのテレビと差別化を図るブランドを構築するための情報などなど、その財を形成する情報の集積で業は成り立っていて、それらの情報の集積に対してお金を払っているということを熟知する必要があるだろう。

 よく日本は資源のない国だから、製造業のように材料をほかから引っ張ってきて加工して売らなければ経済が維持できない、だから輸出主導型でも仕方ないのだ、という議論がある。しかし、実際には財を形成している情報を隠すのに製造業は有利であり、同時に特定の情報を大勢の人が共有するのに製造業は向いていたから品質を維持しながらの大量生産が可能だったということに過ぎない。ブラウン管を作る方法は、出来上がったブラウン管を眺めていても分からないし、一度ブラウン管の作り方を理解できたなら工場内や会社内で共有するのはそれほどむつかしくはない。

 ビジネスにおける神話を考えると、要するにその収益を叩き出すためのクリティカルな情報をいかに隠蔽するか、それと同時に組織にいかに満遍なく伝え遺漏なく進めるかという二つに集約される。携帯電話でアイモードが流行してビジネスでの成功が伝えられたとき、人はアイモードを育てた事業部の人たちの天才的な活躍を賞賛してやまなかったが、カラクリから考えるとそれは単に携帯電話の普及局面でユーザーに対して小額決済が可能なコンテンツ供給を実現したからであって、シェア面でガリバーとなりうる国営企業系のサービスが勝利するのは当たり前の話なのである。

 神話を構成する主要なカラクリは、必ずと言っていいほどどうでもいい別の事柄に置き換えられ、慎重に隠蔽される。企業からしても、自社がどうやって儲けているかを知られることほどリスクの高いことはない。これは政治も社会問題もビジネスも宗教も科学もその構造はあまり変わらない。ただ、ビジネスは唯一、上場企業に限って言えば最低でも年次で決算が発表され、何にどうお金を使ったかはある程度の精度で明らかになる。ひとつのうまくいっている会社の決算を何年にも渡ってウォッチしていれば、自ずからその商売の仕組みは理解できようというものである。

 真正直に経営している会社もそうだが、悪いことをして不正に利益を上げている会社はもっとカラクリを隠そうとする。化粧品会社にはじまって、訪問販売、通信販売、サラ金の一部、特定のギャンブル業界、食品の一部などは、そのビジネスの構造そのものが不正のうえに立脚している場合もある。この手の会社は、自社のカラクリを隠蔽するためだけに、社会奉仕を前面に打ち出して世間に役に立っている集団だと標榜してみたり、広く薄く広告をばら撒いて報道されないようにしたり、あるいは直接的な暴力を駆使して明るみに出るのを防いだりする。迷惑なことこのうえない。

 何が巨悪であるかどうかはどうでもいい。考えるべきは、それに加担しないことである。投資家として、あるいは社会人として、なるたけそのようなものに手を出さないという姿勢を保ちつつ、同時に事情を知ろうという努力は常に払うことが大事だ。

 そして何より、神話を構成するカラクリは、構造的であることを知るべきである。カラクリは、より上位のカラクリに従属している。どんなに高成長好業績の会社でも、その上位に位置する構造が変化したら業績を保つことは出来ない。それも、数週間数ヶ月という時間差ではなく、大きければ大きいほど、一年、十年という単位で少しずつ崩壊していくのだと思ったほうが正確だ。そのような逆のカラクリもまた、世の中には自然と備わっているようにも見えるから世の中少しは面白い。

 投資家という立場は、これら経済の仕組みと直接の利害関係で結ばれていながら、一方で傍観者でもある。投資していない会社がスキャンダルにまみれたら、その影響を慎重に考察するとともに、指さして腹を抱えて笑えばいい。そして、コトの成り行きを楽しみながら、神話の終わった企業がどういう経過で崩壊していくのかというカラクリを考えて次に備えていけば良いのではないだろうか。

 そして、読者もまたそういう大きい流れを構成しているカラクリの一部として成立している。人は一人で生きているのではない。たとえ寝坊して選挙にいかなくても、翌日職場で家庭で世間について語るだけで常に誰かに対して影響を与えていることを忘れないことだと思う。同時に、貴方の目や耳に入ってくる全てのものは、全て何らかの意図があって人が流しているものである。貴方に影響を与えようとしている人の、真意を読み取る努力を払うことが、貴方はどういう存在であるかを知る道標になるのである。

8月9日 さらに締め切りを3日過ぎた早朝自社オフィスの自分のデスクにて 山本一郎