98年にニフティ・ビジネスマンフォーラムの雑談会議室に書いたもので、何だか知らないが根強い人気を持っていて旧知の友人と出会うと必ず話題になるためとりあえず再録。

--

 過ぎ行く夏を惜しむかのように野原一面に土筆がはえ、メダカが産卵のために川を登る10月のある日のこと。
 「あなた。いい加減起きてくださいな。食事が冷めてしまいます」
 雪夫は階下から呼びかける雪子の声を聞きつつ舌打ちした。それどころじゃないんだがなあ・・・。彼の人生の目標は笑えない笑いを追究することであったが、齢40を超えて未だ悟り開く気配すらないことに、雪夫は焦りを感じ始めていた。笑えない笑いは、どこまで追い求めてもやっぱり笑えないのである。

 雪夫は妻・雪子にこの崇高な目標を打ち明けることなく日夜精進する毎日であったが、
一つ気がかりなことがあった。
 「俺は、お笑いのセンスがないんじゃないか・・・」
 その疑念は日増しに強まり、やがて確信に至りつつあった。

しかし、雪夫の顔がソープランドから出てきた日雇い労働者のように晴れやかな表情に変わる転機が、今ここに訪れようとしていた。
 窓の外には隣の家の茶色い飼い猫が、スタスタ塀の上を歩く姿があった。彼は、毎日のように雪夫に気兼ねすることなく朝の散歩を楽しんでいるように見えた。

 雪子から見れば、彼は単なる猫であり、隣家の主人がフランス書院文庫の影響で猫に対してピエールという名前をつけているというだけのことだったが、雪夫はこの日衝撃的な光景を目撃する。

 ピエールは雪夫の視線に気づかず、塀の上で一回ノビをすると、ふところからホープを取り出し、洒落た手付きでジッポを操りふかし始めたのである。
 雪夫は思わず窓を開け声をかけた。「君!未成年だろう!」
 ピエールは億劫そうに雪夫の方をちらりと見やると、「私、未成年ちがう。俺はフランス大統領直属の指令で日本に来てるスパイ。その証拠に足のつめを切る」
 猫は爪切りをどこからともなく取り出すと、器用に足のつめを切り始めた。
 雪夫は思った。こいつ、本物だ。船井幸夫は正しかったのだ。
 この日から、雪夫はピエールと会話することを毎朝楽しみにするようになっていた。
雪夫は今失業に近い自分の不幸話や、痴漢に間違われてブタ箱に放り込まれたこと、居酒屋の座敷で飲んでる隙に新調した靴を他の客に間違って履いて帰られたこと、学生来の親友が不況の影響で資金繰りにつまり自分に保険をかけて中央線国分寺駅で飛び込み6万人に迷惑をかけたことなど、明るい話題で盛り上がり、ピエールもいつしか雪夫に心を許し始めた。

 やがて長い冬が終わり、東京湾に流れつく流氷に乗った白熊が北極圏に帰る仕度を始める5月。バイオリンを持ったコオロギの大群が田畑を荒らし始める季節となると、ピエールは重大な問題を雪夫に投げかけた。
 「もはや、フランスはアメリカの帝国主義的世界覇権を容認することはできない」
と前置きをした上で、微妙にひげをゆらしながら続けた。
「そこでまず手始めに自民党を壊滅させ共産党不破政権を樹立した上で、台湾を日本政府の保護下におき、日本は中国に対して朝貢を行って柵封国となり、中国に一国五制度政策を取らせて中国共産党の親米路線を破綻させる計画があるのだ」

 このピエールがもらした遠大かつ壮大な計画に雪夫はあっけにとられ、かつ身震いした。なおもピエールは語る。

 「そして、中国、ロシア、日本というアジア極東地域三大共産主義国家による軍事同盟を元にアメリカの軍事プレゼンスを消滅させ、NATOもアメリカを排除し、アメリカ大陸と欧州、アジアの三ブロックによる新しい世界秩序を形成しようという構想があり、その目標達成のため巨額の資金がすでにプールされているのだ!」
 雪夫はただ漫然と生きてきた己を恥じた。ピエールの崇高な理念と計画性、そして何よりも自分にそんな秘密を打ち明けてくれたことに、大きな衝撃を受けたのであった。

 ピエールは「来週にはこの計画を実行するための会議が浅草で開かれる予定だ。ついては、この会議に出るために3千円かかるので貸して欲しい」と雪夫に頼み、雪夫が貸してやると、二度とピエールは雪夫の前に現れなくなった。

 雪夫は思った。ああ、ピエールは偉大なフランス人スパイだったなあ。そうだ。俺は、もっと変わらなければならない。彼はそう心に誓ったのである。

 二階から降りてきた雪夫の様子が変であることに雪子は気づき、声をかけた。
 「あなた、何か変わったことがあったんですか?」
 「いや、俺は世界を変える!」
 雪子には、雪夫の人生が大きく変わったことに気づく由も無かった。

 去年、切込隊長BLOGで書いたものを再録。いろいろと後日談もあるのだが、そっちはあまり面白くないので書かなかった。『美人投票入門』という書籍を出版したときに収録したが、そのとき行った修正前のもの。

--
 先日、アメリカから太っちょが来たので晩飯を一緒に喰った。

 前に、私は彼に変な銘柄を奨めて大損させたことがある(照)。

 なもんで、東京のフォーシーズンズホテル丸の内に泊まっているから飯を喰おう、と誘われたら地元でもある私が飯代を出すのは仕方のないことだと思っていた。どうせダイニングといってもせいぜい2万かそこらであろう、どうせ会社の経費で落とすし、こういうときぐらい仁義として払ってやってもいいだろう、いいに違いない、と自分で自分を説得しながら、ホテルのある東京駅に向かった。

 ひとつ、私が計算違いをしていたのは、アメリカンデブは一人ではなかったのである。

 私が損をさせたブライアン(仮称)というデブは、いわゆるこってりデブであり、腹回りから腰にかけて分厚い脂肪が溜まっているタイプである。しかし、彼の周囲には彼と同泊しているというジョナサン(仮称)というデブと、ブライアンの子供であるニッキーとケイ(いずれも仮称)というデブと四人でフォーシーズンズのロビーのソファーを占領していた。

 親がデブなら子供もデブというのは遺伝子や食習慣で分からなくもないが、よりによってその同泊しているビジネスパートナーまでデブを選ばなくても良いのではないか。

 かくして、アメリカンデブに会いに逝ったら、そこには4アメリカンデブズという複数形に進化していたのが非常に厄介であり、その後のお金の流出について強い懸念を抱き始めた。

 他のホテルに移ってダイニングルームを取り全員落ち着いたとき、その懸念は恐怖に変わりつつあった。食前に出される白ワインを、注がれるや否や10秒というオーダーで飲み干しやがるのである。「白ワインってのはな、食事前の談笑を楽しむためにちっとずつ飲むものなんだよ」と抗議したが「そんなことをするのは暇なフランス人ぐらいのものだ」と口々に返され、「これだからアメリカ人は」と大げさに言ったところ「そういうことを言うとまた占領するぞ」と笑って言われた。まあ、私も韓国人と商売上口論になると「お前、つまらん注文つけるとまた日韓併合するぞ」ということがあるので、このあたりの考え方は似たようなものなのかも知れない。

 口論には歴史を踏まえたお国柄というのが結構あって、ドイツ人と仲良くする時は「次やる時はイタリア入れるのやめようぜ」とか「次は勝つぞ」とか「ポーランドはドイツの領土貯金みたいなもんだ」とか都合の良いことを言い、ドイツ人と喧嘩する時は「お前は俺のビッグブラザー(宗主国)ではない」とか「スウェーデン人に逃げられた癖に(戦争でもEU統合でもスウェーデン人にドイツは逃げられた)」とか都合の悪いことを言う。

 どこの文化圏の国の連中と話をする時にも、分かる範囲でその国の歴史の都合の良し悪しを利用して仲良くしようとしたり口喧嘩したりするものなのである。なお、イスラームの一部や中国人の一部や韓国人の全部は洒落が全く通用しないので工夫したほうが良い。かなり昔の話になるが、中国人ビジネスマンに「台湾と満州は中国国旗の立った日本の領土」と言ったら、殴り合いの喧嘩に発展したことがあったので注意されたい。

 そんな感じで仲良くアメリカンデブズと飯を喰い終わってデザートが出る前後になって、デブが口々に「足りない」と言い出した。私は満腹だ。普通にフルコース喰って、腹がくちない日本人はそういない。しかし、彼らは物足りないという。ノットイナフだという。ソーハングリーだという。死ね。

 おまけに、赤ワインを何本も空けていた。ま、ホストである私が全部頼んでいるので(私がお金を出すのだから当然だ)、掲載されている中でももっとも安価なワインを上から順に頼んでいるだけなのだが、それでもたっぷり三万円分は飲んでいる。ふざけんなと思ったが、まあここは接待である。保険屋が取り付け騒ぎで殺到した客をさばくのにジュースをたらふく飲ませて帰すようなものだ。解約されて大損するよりは、手ごろな飲み食いをさせて腹いっぱいになれば満足するというわけだ。

 それでも彼らの食いっぷりは常軌を逸している。何とかデザートでやり過ごそうと思ったが、デブズが経営する会社の日本法人の近くに肉屋(ブッチャー)が焼いて提供するBBQを開店しているからそこへ連れて行けラル(私のこと)という。最初、何のことだか分からなかった。話をよく聞いてみると、ビッチな韓国人でないほうの、和風のブッチャーが良いという。ことここに及んで、彼らは焼肉、あるいはすきやき、もしくはしゃぶしゃぶを喰いたいという趣旨のことだと理解した瞬間、抱いていた恐怖は諦観に変わった。まだ喰うのか。

 仕方がないので、タクシーを二台呼んでもらい、二台に分乗した。日本人が五人なら、一台のタクシーで充分だろうが、何せ搭載する人物が人物である。変に偏って乗られて、タクシーに横転でもされたら目も当てられない。引火したらしばらく燃えてそうだし。

 果たして、彼らの期待していた和風肉屋は既にラストオーダーの時刻を回っていた。そうすると、普通に焼肉屋に入るしかない。幸い赤坂は土地勘があるので手ごろな価格の焼肉屋に入った。が、やっぱりというか、デブズは普通の四人卓に座らせて収まるような体格をしていない。仕方なく、特設網焼き席を作ってもらった。何か好きな肉はあるかと聞くと、「肉は好きだが、肉の何が好きかと聞かれると返答に困る」という返事だった。私の英語力が足りなかったのかも知れない。焼肉においてはカルビ、ロース、リブ、ホルモンなど様々な部位を個別に頼むのだが、何か好きな肉はあるだろうか?と問い直したら、「どれも牛肉であることには変わりないだろう。だったら頼むべきものはただひとつ、肉だ」という。

 諦めてカルビを6人前頼んだ。

 肉が到着すると、焼ける間もなく片っ端から消えてく。しかも、デブズはタレをがんがんにかけて喰う。しかも、手が汚れると紙製の前掛けでバンバン拭く。次々と肉をビールと共に口の中に放り込んでは、まるで牛が親の仇でもあるかのようにどんどん注文していくのである。

 ここで更なる問題が勃発する。いま喰っている肉を提供している焼肉屋の近くには、彼らが資本を出している会社の日本法人が本社ビルを構えているのである。当然、怖れていたように「そういえばケビン(仮称)が日本支社だったな。今すぐコールしろ!!」といった指令が飛ぶのである。とはいえ、もう23時を楽勝で回っている。もう帰宅しているに違いない、帰宅していてくれ、と思ったら普通に会社にいた。これだから保険屋は嫌いだ。何と言うか、デブは仲間を呼ぶ。まるでwizardryでいえば瀕死のパーティーに遭遇したグレーターデーモンが仲間を呼ぶようなものだ。しかし、助かったのはケビンは明日中に終わらせる仕事があるので行けないとのことだったので、デブ増援は避けられた。

 ちと小便で中座してしまった間に彼らは勝手に頼んだらしく、大皿に山盛りの肉が運ばれてきて泣きそうになった。周囲の客が分からないのをいいことに「俺のちんこは世界一(My Dick is No.1)」とか歌っているのである。もはや品性という単語がもっとも似つかわしくない集団である。どうやら頼み方も「何か肉を持って来い」だったらしく、盛り合わせで登場していた。

 いきなり終了のゴングが鳴ったのは「ラストオーダーです」というおずおずとした声が、たどたどしい日本語を駆使する店員の口から発せられた時だった。正直助かったと思った。デブズは腹をパンパン叩いて「あー喰った喰った」「少しは満足だ」としか言わない。会計をして、金額を見て顔がひきつりそうになったが、ここは堪忍である。タクシー乗り場まで送る途中、彼らは自販機の前に仁王立ちになり、何をするのかと思ったら、人数分のダイエットコークを買った。あんだけ喰って飲んで騒いで、ダイエットコークなのかよ! いまさら1カロリーかよ! 既に腹の中は高カロリー高脂肪なんだよ!

 赤坂の道の真ん中で横に並んで歩く一行の手にはダイエットコーク。タクシーでの別れ際に「兄弟。次はオリンズでいいもん喰わしてやるよ。最高の奴をな」と強く肩を叩かれた。いつもはまずいと感じてやまなかったダイエットコークが、ちょっとだけ、おいしく感じた瞬間だった。

 いまはもう社会復帰して、元気に某ブログ(ただしくだらない)を書いている人との交流記を、本人の同意のもとにアップしておきます。もうあれから二年経つんだね(苦笑)。

--

 はじめて彼からメールを貰ったときは「引きこもり状態から抜け出せません。助けてください」という類のものだった。ちょうどそのころネットで有名になりかけのころだったので、あまりこの手のネットの流儀について詳しくはなかった。突然やってくるスパムではない、それでいて知り合いでもないメールが来るのは珍しくて、話半分、ある種の息抜きのようにして楽しんでいた。

 だいたいにおいて、来たメールについては時間の許す限り返答をすることにしていたが、上記の彼からメールを貰ったときは、--名前も状況の説明もない、ただの助けてくれメールだったものだから--忙しかったと言うこともあり三日ほど、返事をしないまま空いてしまっていた。

 そうしたら、彼から返事の催促。「僕は困っているんです。どうにかしてもらえませんか」。困ったのはこっちだ。誰だか分からない人からメールが舞い込んで、ほかの用事をほかして先に返事をするなんてことは道理からしておかしい。といって、無視を決め込むのも悪い気がしてしまうのが私のマズいところである。

 何とはなしに「返事が遅れてすみませんでした」風の出だしでお詫びをすると共に、どういう状況なのか、なぜそうなってしまったのかなど他愛もないことを書いて送ってやった。行数にして3、4行ぐらいだったかと思う。てれてれっと書いて送った。

 送ったことも忘れていた翌週に、彼から長文の返事が来た。返事が来るとは思っていなかった、いま自分はネット以外にやることが見つけられない、将来が漠然と不安だ、などなど、身の上話や近況が山のように書き綴られていたが、相変わらずフリーのメールアカウントで、名前をまったく名乗らないのである。

 さすがにこれには閉口したが、一通り読んで、何となくもう一度読み返した。

 そのとき私が感じたのは「将来の不安を感じない人などいない」ということである。というより、将来は不確定であり、何が起きるか分からないから人間はその将来に対して希望なり予測なりしながら何とか生きていると言うのが実際だ。別に引きこもっていようが前線で忙しく働いていようが自分の人生と向かい合ったときこの不安から逃れられない人はあまりいないだろう。

 同時に、忙しくしている人ほど自分と向き合う暇もなく目先のことに精一杯で、往々にして考えることなしに日々を過ごして、気がついたときには取り返しのつかないことになっていることもある。人間は等しく24時間の一日を過ごし、逸材も凡人も同じように年を取るわけだから、その空っぽの水槽のなかに何を投げ込むかは自分次第だと言うことである。

 ましてや、引きこもりなる人種は時間は山ほどある。自分と向き合うべき時間がいやと言うほどあり、しかし自分と向き合うとマイナスのことしか頭に思い浮かべないから苦痛となり、ネットなど部屋で済ませられる紛らわしをしつつ暮らしているのだろうなあ、と思った。

 そんなようなことを書いて送って見たところ、またぞろ長文のメールがやってきた。しかも、前回のよりも倍以上の長さに及ぶ大作が三日もしない間に凄い勢いで送付されてくるのである。それはどうなのかと思いつつも、いったんメールをやり取りし始めると彼の生きてきた背景やらものの考え方なんぞを垣間見てしまって、何とも言い難い親近感を感じてしまっていたのだった。それでも、十行ぐらい返事を書いて送ってやると、日ならずしてまた長文の返事が来るという繰り返しである。

 そんなメールラリーを二ヶ月ぐらい進めたころだろうか、彼の母なる人物から丁寧なメールが届くというイベントがあった。最初、知らない女性からメールが来たとしか思わず、二日ほど放置してしまったのだが、ある晩酒を飲んで帰ってきて未読のメールをまとめて読む機会があり、改めて見てみたらそういうメールが来ていたのを知った、そういう次第である。

 メールを読む限りだと、彼はそのとき30歳で、もう十年近く自室に籠りきりな生活を送っていて、知り合いもなくただネットをするためにパソコンの前に向かう毎日だったが、何ぞ私とメールをやりとりするようになってから自分でトイレに行けるようになり(!)、その月に入って食事をしに居間まで自分からやってくるようになったという。

 そのメールを貰ったとき不思議だったのは、彼から貰っていたメールを読む限りだとネットで調べたのか昔勉強したのか知らないが、物凄く広範な歴史の知識を持っているということだった。確かにメールでの物言いは断定調で、決して普通に読んで心地よいものではないが、他人との接触を絶った人間にありがちな独特の知性の持ち主のように見えた。私が送った返事についてさえも、何か深読みしすぎたのかその考え方はおかしいとかもう二度とメールは送らないと切れたりしていたものの、数日すると知らない顔をしてメールがやってくるにつけ、いつしか私も彼からのメールを待っているようになったのである。

 母親からのメールには「感謝には及ばない、私が好きでやっていることだから」と本音ともつかない返事を出してしばらく、彼からメールが来なくなった。「お前はそれだけ偉そうなことをいうならまず部屋から出て働け」とかそういった返事を書いてさすがに怒ったのかと思ったが、メールが来なくなってから二週間ぐらい経ち、気になったのでメールをこちらから送ってみた。といっても一文だけ、である。「最近どうよ。」

 そうしたら、偉い長いメールが藪から熊でも出てきたかのようにやってきた。しかし、内容は私がかつて知っていたころの彼のものではなかった。彼の母親に対して私が返事を出したことに対して激しく憤っていた。理由も事情も良く分からないが、とりあえず怒っていた。理解ができなかったが、予想はできた。彼にとって、私はネットのなかだけの安心できる友人だったのかなあと。

 さすがに思い立って、それはどうかと思うという内容のメールを、私にとってははじめて長文で彼に送りつけてみた。あとで読み返すと説教くさくて読めたものではないが、それでも私だって君とのメールに価値を感じてやりとりしているのだ、ネットだって決して社会から切り離されたものではない、君の考え方や知性は本物であることは私が保証するからそれを活かせる仕事を探せ、私も君の母親も、君の自立を願っているとか、そういうつまらない内容である。たぶん、もう返事は来ないだろうなと思った。

 案の定、それきり、半年以上メールが来なくなった。

 こちらからもメールを送らなかった。私としては精一杯のことをやったつもりになっていたし、それで関係が壊れるのであればそれまでのことだと割り切ることにして、やがて彼のメールアドレスをアドレス帳から削った。

 そしたら、日本酒と思われる小包が自宅に送られてきた。というか、宅急便の品物欄に「日本酒」と書いてあるのだから、きっと日本酒なのだろう。送り主は聞いたこともない人だった。爆弾かもしれないと思って不審なこの包みをしばらく開けずに放置していたが、年の瀬も迫っていたし、玄関先にこんなでかいのを置いておくのもどうかと思って、思い切って包み紙を開けてみると何か立派な木箱と、豪奢な和紙でしたためられた手紙が入っているのに気づいた。

 手紙に白い粉でも入っていると死ねるので、慎重に開けてみると、差出人はどうやら彼の父親らしかった。手紙には何だか知らないが御礼らしき内容と、父親が営む蔵元で彼が手伝い始めたこと、彼は何となく恥じ入って私に連絡を取りづらそうにしていることなどが綿々と書いてあった。

 私は困惑した。別に日本酒が欲しくてメールのやり取りをしていたわけではない。もちろん、日本酒は彼と彼の家族の感謝の気持ちなのかも知れないが、ありがたいと思う気持ちよりも前に途方に暮れたのである。彼に必要だったのは、彼が彼のなかに向かう内側への感情を、一度全部受け止めてやる話の聞き手だと私は思ったのである。顔の見えないコミュニケーションであるからこそできるやり方があり、その先にいたのがたまたま私であった、ただそれだけのことだ。礼を言われても困ってしまうわけである。といって、彼が気後れしてメールを送れないというのはありうべきことかなと思った。まず父親に対して返礼の手紙を書いたあと、私も彼に、正直に心情を吐露するメールを送るのが礼儀だと感じて、彼にメールを送った。

 「だからさあ、私はビールしか飲まないってメールで書いたじゃん。」
 みかんの最後2話ぐらいの流れ。台詞サンプルが入ってしまっているのは一部新稿が入っているから。読みにくくてすまぬ。

--

 帰りしな、山崎は古橋に携帯電話を入れる。「傷心旅行はどないや」と尋ねる古橋に、山崎は相談をもちかける。

 翌日、信用金庫に冴子と経営計画書を携えて訪れた山崎は、七年前に担保設定されたままのみかん畑に、新しい県道が建設され、担保価値が上がっていることを説明する。高木が三百万円までの借り換えに応じるというと、残る千二百万円は私がお返ししますと高木に告げる。驚いて山崎をみやる高木と冴子。

 蝉がせわしなく鳴く帰り道を、山崎と自転車を押す冴子がみかんの花を見ながら来週の夏祭りの会話。亜季が快方に向かっていて、夏祭りに間に合うといいねと言う冴子に、私には亜季の気持ちがよく分かるという山崎。

 一週間後、お盆の夏祭りが明後日に迫る中、山崎は柴原邸に古橋を招き入れる。
 退院したばかりの亜季だったが、心労が取れたせいか、顔には生気が戻っていた。
 柊とほのか、小出は、渡された書類を難しい顔で読んでいる。その紙を、興味津々といった表情で、冴子と実紅が覗き込む。実紅は「すごーい」とか嬌声を上げている。
 お盆中にも関わらず、ご足労頂いてすみません、という亜季に対し、「山崎はこういう性格だから、つらいとか何とか一切相談しない男だったが、こういう形で協力できるのは友人として本当に嬉しい」と古橋は亜季に語る。
 古橋が同僚時代、ヘマを山崎に押し付けたが、恨みがましいことも言わない山崎だからこそ、会社が別になってもまだ関係が続いていると話す。山崎は、ずり落ちる眼鏡を直しながら、黙ってその話を聞いている。

 そこへ、来客を告げるベルが鳴る。実紅が玄関口に出ると、高木が来たという。
 居間が一気に張り詰める。古橋と冴子、実紅が別室に退くと、少し酒に酔ったらしい高木が、大きな声で山崎を詰る。「この男はな、日本ベル産業の、会社の金を、使い込んでクビになった男なんだ」。高木は、日本ベル産業本社で山崎が経理を担当していた時に、十二億円の資金を会社に無断で使い込んだ咎で子会社送りにされ、会社の温情で解雇ではなく自己都合退職扱いにしてもらった犯罪者であるとまくし立てる。まるで亜季が山崎に騙されていると言わんばかりの高木の口調。

 山崎は特に抗弁するでもなく黙って聞いている。一通り、高木が言い終わると、山崎は「おおむね、今のお話に間違いはありません」とぼそっと言う。今すぐ、即刻この家から出て行けと喚く高木の声にたまりかねて、別室から古橋が顔を出す。
「あんさん、ものには言いようっちゅうもんがあるのと違いますか」古橋は極力穏やかにものを言うと、怪訝な表情をする高木に「申し遅れました、私、五洋食品の古橋言います」と名刺を差し出す。

「山崎さん、ええ人やからようものは言いませんけどな、別に山崎さんは勝手に会社の金つこうて懐入れたのとは違いまっせ」古橋は、まるで昔日を懐かしむように事情を語る。「会社は誰のもんや。むろん、教科書には株主のもんやと書いてある。せやけど勘違いしてもろたら困りまっせ。精魂込めてお客様に奉仕し、誰よりも会社のためを思って働いてきましてん。私らの会社は家族なんや。家族そのものなんや。会社興しはった松本さんは何より社員のために働いてくれはった。そら会社は潰れてしもたけど、ほかの会社に勤めても、たとえどこに住んでおっても、松本さんの言うたことは、いつまでも心の中に残っておりますのや」

 会社の退職者年金を一方的に取りやめる会社の方針があまりにも性急だったため、一時貸与という形で十二億円を企業年金として、経理担当だった山崎が仮払いしたに過ぎないことを、古橋は説明する。しかし、年金の運用が思うようにいかない年金基金側の返済が滞り、会社の都合で山崎に責任をかぶせ、子会社に押し出したのだった。

「高木さん、お気持ちは分かりますけどな、地位や権力で人にいうことを聞かそうという根性はよう考え直さんとあきまへんで」古橋は諭すように語る。「こっちで悪口言い回るのも厳禁や。山崎さんがここにおる以上、うちらにとっては家族も同然。うちもうちなりに対処さしてもらいますから」
 古橋はそう言い放つと、懐から煙草の箱を取り出す。それを見咎めた実紅が、外で吸って!とたしなめると、柊がぷっと笑い出す。つられて冴子が、実紅が、笑いはじめる。見詰め合う高木と山崎を背に、笑い転げる声が柴崎家にこだました。

 夏祭りの準備をするために、その夜山崎は柊らとともに寄り合いに参加する。
 「亜季ちゃんの快気祝い」と盛り上がる。

 夏祭り当日、毎年これが本当に楽しみと語る冴子と二人で夜店回りをする山崎。
 二人は、途中で買った綿菓子をかじりながら、ゆっくりと歩く。
 夜店のはじっこにある風鈴屋の前で、冴子は意を決したように山崎に願う。
 「お父さんと呼んでいいですか」「亜季さんの居場所は、私が護ります」

 その後、山崎と亜季は結婚し、亜季が経営していた店は、県道沿いの土地を利用してオープンした五洋食品系の大規模スーパーへと改装された。山崎姓へと変えようとした亜季だったが、山崎は柴原のままがいい、と思って、そう奨めた。

 山崎は亜季に、再婚するにあたって、一度一家で山口の親御さんのところに挨拶に行きたいと伝えた。渋る亜季だったが、身寄りのない山崎にとっては、肉親の情というものに応えるのに先も後もない、普通に話し合えば良い暖かい存在なのだと説得した。一家にとって、ちょっとしたハネムーンとなった。

 亜季の実家は、山口県有数の地主の名家、志麻家であった。山の中の豪邸に迎えられた一家は、手厚い歓迎を受ける。出迎えた初老の男は、亜季の父親隆信だった。「おや、高木君と再婚するんじゃなかったのかね」と笑うと、亜季はこの通り強情な娘だ、この先いろんなことがあるかも知れないが、といって、結婚を快諾してくれた。
 その夜、寝室で亜季は山崎に亡き夫について話す。誠実で不器用だったけど、あの山をずっとみかんの花で彩りたい、と口癖のように語っていたという。はじめて、山から月夜の海を見晴らした時、山崎は純一がどういう思いであの海を見ていてか、私には分かる気がする、と語る。この山と、風と、海とを、目いっぱい吸い込んだあのみかんを、一人でも多くの人に味わってもらいたいんだ、と。私も、似た思いで、洗濯機やテレビやビデオを作ってきましたから、と山崎がいうと、山崎と亜季は固く抱き合った。

 おい、早くしろ、病院へ亜季ちゃんの見舞いにいくぞ、と冴子を急かす柊。冴子はちょうど河野と共に、大阪の大学に入学した実紅からのメールを読んでいた。実紅は今春大学に入学し、山崎の持っていた奈良のマンションから通っていた。明日には帰ってくるという実紅からのメールを知った柊は、河野にもっと頑張らないと向こうで実紅が男を見つけてしまうぞ、とからかう。
 その柊を、ほのかがつねる。あなたも頑張らないといけない身でしょ、とほのかが嗜めると、顔を歪めた柊が照れ笑いをする。「山ちゃんに先を越されちまったなあ」

 一足先に、病院の廊下のベンチで座っていた山崎は、二年前、同じように解雇された直後に駅のベンチで座っていたことをぼんやり思い出していた。
 小太りの看護婦が出てきて、しわがれた声で男の子ですよ、と山崎に伝えて、さっさと診療室へ戻っていった。ずっと世間に流されるように生きてきた山崎にとって、はじめて自分がどこかに辿り着き、根を張ったように思えた。
 少しして、タオルにくるまれて泣き叫ぶ我が子を抱きかかえた。
 まるで、夏に咲いたみかんの花のようだった。解雇された時でさえ流れ出なかった涙が、山崎の頬を伝った。

--

 本稿はモチーフを変えて別の脚本となり、とある短編ドラマとなって日の目を見たけど全然違ったものになってしまった(こちらが想定していたよりもっと大人しい作品になってしまった)ので悲しかった。
 2002年8月26日に書いた日記をリライトしたものです。

--

 私は投資家をしている。自分は自分で会社をやり、現場を観察する傍ら、投資を行っていく場合、どうしても避けて通れないのは投資先の失敗である。

 事業の失敗は、ありふれた、取るに足らない物語のひとつでしかないが、投資家は医者と同じくその人の人生そのものに向き合わないとならない場合がある。社長や経営者はただ単独で存在しているのではない、必ず彼らはそのバックグラウンドに経歴や人脈といった人生に彩られている。事業に失敗したからといって、その人生そのものを否定する気にはなかなかなれない。私の投資先であった会社の経営者だった彼もその一個の人生をまっとうした。

 彼には夢があった。事業家としての夢、それはいまにして思うと企業を作り運営していくにあたって必要な強くたくましい動機である。どんなに高性能な車でもエンジンにガソリンが入らなければ前に進まないように、どんなに優れた構想や高い能力を持っていても、是が非でもやり遂げるんだ、という衝動がない限り、そしてその衝動が続かない限り企業なんて経営できないし、人の上に立つこともできない。夢を持つことは、計画を立てることと同じくらい経営者にとって必要なものであると言える。

 それでも私は彼の夢を語る姿勢そのものが好きではなかった。できないことをできるという、不誠実なようで、また傲慢なあり方に、やり場のない不満を持っていたからである。

 出会いそのものはふとしたことだった。起業家たちが集まる表参道のパーティーで知り合った。知人のビルオーナーが資金を企業立ち上げの供出するにあたり、何とか補助してやってみてくれないか、というのが当初の話だった。彼は、知人から私の話を聞いていたらしく、非常に友好的に、かつ鷹揚に振る舞った。どこかで見たような光景だった。

 私自身は、自分でも嫌になるほど客観性に優れた、悪く言えばよそよそしい男ではあるが、人当たりが悪くないのと、人の話を聞くことは苦と思わないこともあり、彼は一方的に私に対して語りかけてきていた。

 当時26歳だった私にとって、大企業経験者がいかなるものかについてさしたる見識は持ち合わせていなかった。だが、彼にとって私と共同で事業をするにあたっていくつもの利点を当初から気づいていた雰囲気はあった。私は彼より随分年下だったということもあるかもしれないが、彼はこれから何かに挑戦しようとしていて、そしてそれに勝利することに何ら疑いを持っていなかった。

 彼は高らかに素晴らしい技術力とそれに基づいた驚くべき製品品質について説明した。パーティーの席上で、自分の事業について熱っぽく語るその姿を見て、私は何と空気の読めない男だろうと思ったが、かろうじて半笑いの状態を保ちながら話に聞き入っているフリをしていた。が、あまりにも自分のことばかり語るのでイライラし始めた。すべてのこと--パーティーに呼ばれたこと、彼を紹介されたこと、彼のためにどんどん時間が経過していくこと、テーブルにはもう料理がほとんど残っていないこと、手に持ったビールがもうぬるくなってしまっていることなどが、いちいち私を不快にさせた。

 間を取りたくなってトイレに向かうと言って中座しようとしたが、トイレにまでついてこられたので閉口した。明らかに、彼は私のポケットに入っているものに興味があるように思えた。

 初めての出会いは、決して私にとって望ましいものではなかったが、後日連絡が来て、会おうと言う。仕方なく秋葉原にあった彼のオフィスに行ったとき、多少印象が変わった。派手な言動で私を困らせた先日のパーティーとは打って変わって、落ち着いたオフィスで活気ある社員たちがひしめきあい、別のフロアでは技術者たちが五、六人打ち合わせしているのが見えた。

 そのころの半導体業界は、ファブレスとファウンドリに分かれていく流れのなかにあった。ファウンドリとは工場などでの製造に特化し開発を行わない会社であり、ファブレスはそうしたファウンドリメーカーに対して製造技術や設計をサービスとして提供し、工場を持たない経営を行うことで戦略的な強みに特化でき経営資源を集中できるという仕組みだ。彼の会社は、主に台湾やアメリカのファウンドリに対して主要なチップセットを設計し納品するというビジネスをやっていた。主要な顧客や、顧客に対して提供している技術についての説明を受けるにつれ、彼のやろうとしていることと、それに基づいた野望のようなものがうっすらと私の頭のなかで立体的に理解できるようになってきた。

 確かに、この会社は高い技術力を背景に受注を大幅に拡大しつつあった。俗に言う「ロックンロール」であり、提供される技術は主に携帯電話向けの省電力半導体と、それを組み込む際の周辺技術に集約された。アメリカに共同研究するためのオフィスを持ち、複数の大学に対する委託研究を行い、東北大学の有力な研究者と非常に近い距離にあることまでは分かった。

 不安だったのは、彼らはただの半導体設計屋にしか過ぎないのに、すべての携帯電話向けの技術を総取りするという野望を持っていた点にあった。もちろん、それが可能だと彼らが考えていたのには理由がある。当時は、デファクトスタンダードという言葉があり、シェアを獲得できる汎用的なプラットフォームを提供した場合、その昨日を必要とするすべてのプレイヤーは提供者からその技術を買わなければいけないという神話のようなものがあり、彼はどうやらそれを信じてやまないようであった。

 若干不審な思いにも駆られたが、二週間ほどあとで私は彼の要請より若干少ない金額の増資に応じた。残りは別の投資家がお金を投じた。企業が成長するときはこの手の俺様系の経営者のほうがうまくいくだろうということはほかの投資案件での経験則でないわけではなかったし、それより現状の受注状態が良好で、個人的な調査の結果受注は拡大傾向にあるということは見て取れたからである。

 ところが、ほどなくして事態は暗転した。資金を投じてから数ヵ月後、彼は断りなしにビーム通信なるIT大手の傘下に入るため増資を引き受けてもらったことが判明したのである。これにはさすがにほかの投資家は怒った。

 当時はITバブルの最終局面であり、市場から多くの資金を調達したIT系企業がさらなる上場企業候補を求めて投資できそうな会社を物色している時期であった。しかも、その投資は乱暴を極めた。まだ営業さえ開始していない企業や、アイデアだけあって実現が可能かどうかも分からない企業にさえ法外な金額で投資をしていた。突然お金が降って湧いた感じの経営者たちは、大盤振る舞いで事業を拡大し、人を増やし、不正に個人的な蓄財を行った。

 いつの間にかビーム通信系となっていた投資先に訪れた株主たちはいきり立った。当たり前だ、既存株主の承認もなしに第三者割り当てをビーム通信に対して行うというのは非合法だったし、何より企業の成長性を見込んでいるのに資本金が増えてしまっては株式公開をしたときの儲けが減ってしまう。

 しかし、彼はいつものように熱っぽく株主の前で演説した。情報革命はスピードとの勝負であり、増資を引き受けるための株主に対する周知で資金導入が数ヶ月先になってしまっては必要な事業展開や開発の着手に遅れが生じてしまう。企業成長は私が保証するところであるから、株主にはご容赦願いたい、と。

 そんな話は通るわけがないが、ビーム通信は投資界隈では名うての問題企業だったので、問題を大きくしても得るところがないということでは株主の間で一致していた。ただビーム通信の話に乗せられた彼の先見の明のなさには失望していた。株主はビーム通信と協議し、既存株式を望むだけビーム通信に転売することができるという条件を勝ち取って、多くの株主がその段階で勝負を降りた。もちろん、私もそこで勝負を降りることにした。

 ところが、彼は私が投資金を引き上げたことについて怒っていた。怒るのは自由だが、私からすれば合法でさえない第三者割り当てを強行する経営者を信じてお金を託し続けることは合理的でないと考えた。ビーム通信は投資方法に問題があることはほかの事例でも知っていたし、これ以上揉め事に巻き込まれるのは望ましいことではなかった。

 二度目の臨時株主会議は当然のことながら紛糾した。株主の多くが勝負を降りる判断を下したことについて、彼は猛然と株主たちを詰った。だが、私は彼が怒鳴りたてる内容については大人しく聞いていた。当時、私は別のことに関心を持ち始めていたので、特に言い返すことなくやり過ごそうとした。同時に、彼は怒っていたが、その後ろ側にある漠然とした不安に囚われていることは見て取れた。ビーム通信が株主になったところで、彼らが新しい顧客を紹介してくれるわけではなく、企業成長そのものにプラスに働くことはあまりない。しかし、向こう何年間かは安泰のキャッシュを抱えて技術投資を行っていくにあたって、指針となるべき情報を提供する株主を失ったことのリスクは大きかった。

 一回り近く年上の彼にとっては、恐らく最後のビジネスだという覚悟であったのかもしれない。その心情は分からなくはない。その押しの強さ、物事を進めるパワーは誰もが認めるところであったが、状況の変化にあわせるという柔軟さについては持ち合わせていないようだった。もし、彼がビーム通信からの投資を受け入れるかどうか悩んでいるということであれば、彼よりもむしろ投資家サイドのほうがビーム通信の現状についてはよく知っている。相応しいアドバイスを企業に利する形でできた可能性が高い。会社そのものに投資をさせるのではなく、営業会社を子会社で作ってそれに共同出資するであるとか、方法はいくらでもあったが、彼はとにかく出資を集めて上場に漕ぎ付け創業者利益を得て、半導体業界のスターダムに上がっていきたいということぐらいしか考えていないようだった。

 彼の会社への投資を切り離したあと、私はにわかに体調を崩してしばらく静養していた。私も狂っていたので、そのとき2000年問題が起きるのではないかと無駄な心配をして投資の一切を引き上げようとしたり、まあいまから思えば恥ずかしいことをいくつもやっていた。

 しばらくして、ビーム通信の突然の没落が話題になった。幸か不幸か投資を引き上げていた私にとっては、ITバブルの崩壊そのものには何ら損害を蒙らなかったが、彼の会社はとんでもない事態が起きていたことをあとになって知った。上場目前になって、上場申請をする前後にビーム通信のキャッシュが枯渇しそうになったため、役員を送り込まれ、別の子会社との合併を強行されて彼の会社はその野望と一緒に消えた。

 彼が、半導体関連の商社に転勤したことを知ったのは、随分してからである。たまたま私の投資している会社と彼が再就職した会社に取引があって、それの年始の挨拶をしたときに彼の話題を聞いたからだった。教えてくれたのは、彼の会社にいた、いまだ私と付き合いのある元技術者だった。家に帰ってから、何だか懐かしくなって彼の会社の残骸を調べてみたら、合併させられた会社ともども任意整理され、そこで働いていた素晴らしい技術者たちは四散していた。それを知ったとき、何の感慨も持たなかったが、あとになって赤坂へ引越しする際、書類棚からかつて彼が目標としていた2001年上場までの事業計画書が、彼の熱っぽい手書きメモつきで出てきた。もう必要のないものだ。ゴミ箱へ放り込もうとして、自分でも分かるぐらいの悲しい目つきで引越し用のダンボールにしまった。

 三度目の夏が来て、また例によって表参道のパーティーに呼ばれていったとき、ビルオーナーから彼が春ごろ死んだことを教えてくれた。不慮の死だった。別に親しくも利害もなかったが、自分の会社が消滅し、ローン途中だった家を売り払って賃貸マンションに移って勤め人をやり、まだ中学生の子どもを連れて奥さんは出て行ったそうだ。それが人生と割り切ることもできるが、何か置き忘れたものがあるような気がして葬式に参列したビルオーナーに斎場を聞き、そこに問い合わせて彼の眠る墓地へ向かった。

 彼の墓前で、何日も経ってない新しい、見事な花が添えられているのに気づいた。そこに貼り付けられている写真では、かつて彼が経営していた会社のオフィスで二十人ほどの社員に囲まれ、子どもを抱いて磊落に笑っていた。彼がやろうとしていた事業計画書を燃して、線香をあげ手を合わせた。午後の墓地は蝉がうるさかった。ゆっくり一本たばこを吸い終わってから、事業計画書の灰を片付けようとして、やめた。なぜだか、それが彼の生きた証のように思えて仕方がなかったからである。

 少し佇んでいたら、風が舞ってしまって私は灰だらけになった。頭にきた。これで、おあいこだ。
 部分的に第二稿以降のが混ざってて、台詞が入ってしまって読みにくいかもしれませんが、一応。

--

■ #4~

 翌週、何とか小出家の収穫を終えた山崎を、柊が夏祭りに向けた町内会の寄り合いに誘う。夕方、山崎と冴子を柊が会場になっている邸宅まで送っていく。
 出掛けに、柴原家を訪れた高木と入れ違いになる。山崎を見据える高木。
 柊は来るまで送りながら、高木はいけ好かない地元のボンボンで議員先生になりたいんだってよ、ああいう人間が地元の代表で本当にやっていけるのかね、と毒づきながら説明する。

 宴会達者な柊や小出が場を盛り上げるかわりに、酒の飲めない山崎はうまく溶け込むことができない。別の参加者と柊が連れ小便をしている間に、ある参加者が山崎に酒を勧めるが山崎は飲めない。何のために来たんだという一言で、場が急に静まり返る。そこへ柊が帰ってきて場を取り成し、冴子を小出に託して山崎に帰宅を促す。

 柊に送られて、先に帰宅した山崎を亜季は迎える。山崎は亜季の驚かない様子を見て取る。ポストの中に、山口県立高校の同窓会の招待状が入っていることに山崎は気づく。亜季は同じ蜜柑産地の山口出身で、亡き亭主との結婚を両親に認めてもらえず、駆け落ちに近い形で愛媛に来たこと、それもあり亭主が亡くなっても何故か意地で実家に帰らないことなどを亜季は山崎に語る。

 その晩、何となく眠れなかった山崎は、月夜を散歩に出かける。柴原家周辺をうろうろしていると、少し小高いところに柴原家の墓があるのを見つける。あたりに少し草が生えているのをついむしる山崎。その光景を見かけた冴子が声をかける。冴子にとって、蜜柑畑を望む高みから海に映る月を見ながら日本酒を飲むのが唯一の趣味だった。うまく話を切り出せない山崎に、冴子は日本酒の入ったグラスを傾けながら、必要とされている場所がその人のいるべき場所だと思うと話す。

 翌朝、柊が新聞を持って柴原家に駆け込んでくる。新聞は一面で大企業「日本ベル産業」の倒産を伝えていた。冴子が居間にあるパソコンで調べて、克明に倒産の様子を読み上げる。日都銀行の破綻、日本ベル産業の倒産と先の読めないひどい世間になったものだと嘆く柊は、至極落ち着き払った山崎を不審に思う。
 山崎は経理をやっていたため、かの大企業が抜け出しようのない苦境にいたことを知っていた。山崎は、自分が二十年以上勤めた会社を解雇されたことよりも、自分が働き続けた会社がじきに無くなることを予見して、苦悩していたことを語る。

 柊が問屋へ用事のある冴子を送っていき、亜季と二人きりになった山崎は、自分なりに気持ちに整理がついたこと、しばらくの間お世話になったことを亜季に伝え、柴原家を出ようとする。おし黙っている亜季。玄関前で、ぴおが山崎にすりよる。玄関で背広を着た高木とすれ違う。

 柴原家から駅まで、山崎はゆっくりと歩いて向かう。夕暮れの中、ホームで電車を待っていると、向こうからぴおが吠えながら走ってくる。ホームのところまでぴおが来てしまい、途方にくれる山崎。程なくその日の最終電車がホームに入ってきて車掌から「お客さん、最終だけど、乗るのかね、乗らんのかね」と言われる。このままぴおを置き去りにして電車に乗り込むわけにもいかず、柴原家に戻ろうとする。
 その最中、冴子から携帯電話で亜季が倒れて市内の病院に運ばれたことを告げられ、急ぎ病院へ行く。

 病院の通路でたっている山崎の元に、小出がやってくる。
 冴子は医者の元で病状ほかを聞きにいっていた。ついで、柊とほのか、河野と実紅がやってくる。面会謝絶の亜季を一目見に行こうとする実紅を止める小出と柊。冴子が顔面蒼白で出てくる。劇症脾臓炎でどうなるか分からないと冴子から聞いて取り乱す実紅。

 柊の車で柴原家に戻ってきた山崎は、一足先に帰宅していた冴子の電話を偶然耳にする。税理士との税金の話らしい。山崎は遅い夜食を冴子と二人で取る。

 翌日、実紅が朝学校に行った後、柊が今度山崎に収穫を手伝ってくれと言ってくる。柊がほのかを置いて出かけると、高木ほか背広の男が二人、玄関先に現れ、冴子はいるかと聞いてくる。ほのかが店番をしている冴子を呼びに行き、ほのかが店番を代わる。廊下で山崎が居間にお客さんを通している旨冴子に伝える。奥の部屋へ行こうとする山崎の袖を、冴子がつかむ。

 居間で冴子と山崎の正面に座った高木は、横柄な態度で名刺を差し出す。
 店と取引のある地元の信用金庫の支店長だった。こういう時期にこんなお話をするのは恐縮ですが、とやや嫌味に前置きしつつ、返済が滞っている千五百万円の完済を求める。そんなお金はありませんとうつむく冴子。高木は大変かも知れないが、事業計画を出してもらえないと継続融資には応じられないと告げる。
 山崎は明日回答する旨伝え、高木たちを帰した後冴子に状況を聞く。

 冴子が取り出してきたのは、大きなファイルケース4つに放り込まれた経理書類だった。経理は亜季が管理していたので全く冴子は分からず、一晩かかっても処理できないという。それを聞いた山崎は、ジャケットの懐から電卓を取り出す。

 ファイルケースの中のひとつに、亜季の母親からと思われる手紙が何通か入っているのに気がつく。思わず目を通す山崎。
「亜季。あなたがこの家を出て行ってからもう二十年、あなたは一回も家に帰ることもなければ、孫の顔を親に見せることもありませんでしたね。本当にひどい子に育ててしまったと思い、後悔しています。今さら帰って来いとも言えないけれど、せめて声ぐらいは聞かせなさい。強情なのはわたしに似たのかも知れないとしても、お父さんは黙って何も言わずあなたからの電話を待っています」

 領収書や納品書をひとつひとつ見ながら、凄い勢いで書類の束を整理していく山崎を見て、呆然とする冴子。ものの四十分で整理した山崎は、冴子にパソコンを借りていいかと尋ねる。

 一心不乱にバランスシート、損益計算書を作成する山崎。冴子はおずおずと山崎にお茶を煎れましょうかと尋ねるが、山崎の耳には入らない。しばしの間があって、山崎はキーボードを打つ手を止めて振り返り、冴子に謝罪する。
 「私が、もう少し早くお話を聞いていれば、こんなことにならなかったのかもしれません」というと、また山崎はキーボードを叩き始める。
 声を出さないように口を押さえて、涙ぐむ冴子。

 ほのかが店を母に代わってもらい、昼食を作りに部屋に戻ってくる。冴子と二人で昼食を作る。
 山崎はプリントアウトされたバランスシートと去年の決算書を見ながら、昼食をとる。信金によって担保設定されている、休耕中のみかん畑に目をとめ、冴子に地図を貸してもらえるよう求める。山崎は、実際の場所を見たいという。

 柊が山崎に休耕中のみかん畑を案内する。「山ちゃんもみかんを栽培したくなったんじゃねえのか」という柊の軽口を小さいあいずちで返して、畑に面した県道をしばらく柊に運転してもらえるよう頼む。

 その県道を階下に見晴るかす三階の病室の窓から、半身を起こした亜季はぼんやりと外を眺めていた。
 高木は、ベッドそばの椅子に座って、黙って亜季を眺めている。無限に続く静寂。「そろそろ、お返事を聞かせてくれませんか」高木が沈黙を破って、亜季に問いかける。ベッドサイドのテーブルの上には、結婚指輪がふたつ、箱の中に納められている。「私に任せてくれれば、店も綺麗になるし、みかん畑なんか売り払って、実紅さんも大学に入れられる。亜季さんに苦労はさせません、純一も・・・」

「亡夫のことは言わないで」亜季は鋭くいうが、高木は亜季に詰め寄り、布団の上に置かれた亜季の左手を握る。「何も心配することはないんだ。何も」高木は、亜季の右肩を抱き寄せると、じっと亜季を見詰めるが、亜季は窓の外に眼をやったまま離さない。廊下では、開いている病室のドアの横に冴子が手に果物を抱えたまま、中の様子を伺っている。廊下で立ち尽くしている冴子を背後から認めた制服姿の実紅が、向こうから「お姉ちゃん!」と呼びかける。娘たちの存在に気づいた亜季は高木の手から逃れようとするが、高木は放さない。冴子と実紅が病室に入ってくるが、実紅は驚きの表情で二人を見やる。

 山崎は、みかん畑を視察した足で、そのまま亜季の見舞いに病院へ向かう。柊は、亜季ちゃんによろしくな、といって、山崎を病院まで送ると自分の畑に去っていった。
 病院の入り口で、高木とその部下にすれ違う。挨拶をする山崎を無視した高木は、すれ違いざまに山崎に一瞥をくれると駐車場へと向かっていった。病室には先に冴子と実紅が来ていた。なぜか実紅は半泣きの表情になっている。病室の入り口で立ち止まる山崎と見詰め合う亜季。不安そうに山崎を見る亜季に、山崎はなんとかなります、と話す。「いえ、なんとかします」
 初稿の仮人物設定。キャスト案を構成するときに作れといわれてリストにしたもの。最終的にあれこれ加わってもう五人ぐらい増えたような気がする。


・山崎馨

 42歳未婚。岐阜県出身。黒ブチの眼鏡、中肉中背で朴訥とした人柄。両親とも他界。
 滋賀の市立中学卒業後、当時中堅メーカーだった日本ベル産業の工場に就職。
 会社の成長とともに大阪本社の経理となり、奈良にマンションを購入。
 会社の経営悪化とともに子会社のベルテクノサービスへ転籍、解雇される。

・柴原亜季

 39歳死別。山口県出身。口数の少ない、陰のある女性。
 亡き夫が経営していた雑貨屋を引き継ぎ、長女冴子と二人で営んでいる。
 義理の両親も五年前に亡くなり、愛媛での身寄りは特にないが、実家に戻らず
店を守っている。

・高木博隆

 41歳未婚。愛媛県出身。元は地元の秀才で、期待されて東京の国立大学に入学、
卒業。その後旧大蔵省に入省し、一年前退官、愛媛から国会議員として立候補する
べく地元に戻り、地元の有力者榊大二郎の薦めで県議会議員に立候補するまで
愛媛地場の信金に勤務している。
 柴原亜季の亡き夫とは高校時代の同級生。

・柊銀次

 33歳既婚。東京都出身。痩せて長身で、よくしゃべり、明るく世話好きな男。
 東京の大学を卒業し、留学経験もある。「銀ちゃん」と呼ばれる。
 東京で不動産屋に勤務していたが、業績不振で退職、いくつか仕事を転々と
した後、ほのかとの結婚を機に四年前ほのかの実家の蜜柑農家を継ぐ。
 ほのかとの間にまだ子供はなく、ほのかの両親と四人暮らし。

・柴原冴子

 19歳。亜季の長女。浮いたところのない、しっかりとした女性。長身。
 地元の高校を卒業後、亜季の経営する店を助けるため、手伝っている。
 実はたいへんな酒豪で、亜季の黙認のもと独りでひっそり日本酒を飲むのが趣味。

・柴原実紅

 17歳。亜季の次女。県立高校に通う高校二年生。明るくておてんば。やや長身。
 高校ではバレーボール部に所属している。新しい自転車をねだったり、大学に
行きたがるなど、困ったことも言うが、優しい女の子。

・小出武

 40歳既婚。京都府出身。蜜柑農家。
 祖父の蜜柑農家を継ぐ。柊と同じく宴会要員。妻の出産と収穫期が重なり、
冴子の進めで山崎に手伝いを依頼する。

・古橋浩司

 45歳既婚。大阪府出身。大阪弁丸出しでよくしゃべる。
 日本ベル産業時代の同期。現在は五洋食品に転職して部長をやっている。
 不器用な山崎とは仲がよく、何かと面倒を見ていた。

・柊ほのか

 28歳既婚。愛媛県出身。東京の短大在学中に柊銀次と出会い、結婚する。
 柊と同じく、何かと世話を焼くのが好きな女性。

・河野宣之

 17歳。実紅の同級生で、自称実紅の彼氏。穏やかな男の子。
 近所の酒屋兼業農家の長男。たまに友達を連れて柴原家を訪れる。