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 本作品は、02年2月に某国営放送局向けに納品したシナリオ案のうちのひとつである。稿を重ねるごとに、ほかの作品が採用されてフェードアウトしてしまったが、その重ねたほうの稿がどっかに逝ってしまった(涙)。

 私としては、戦後経済ネタを非常に得意としているので、何かあったらきちんと作品を仕上げたいとか思っている。たしか、今回掲載するのは初稿に近かった記憶がある。愛媛はロケハンさえもしていない。だから祭りの描写とか、地名とかマジ適当。みかん栽培についても知らない。世の中そんなもんだ。

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■導入 #1


 〇五年六月。大阪の大企業「日本ベル産業」の子会社「ベルテクノサービス」で経理をやっていた山崎馨は、小さく活気のないオフィスの一角で熱心に書類を作っている。そこに、上司が声をかけるが、山崎の耳には入っていないようだ。
 上司の荒い呼び声と、同僚の失笑。肩を叩かれてようやく振り返った山崎は、役員室に行くよう指示される。

 門真にある高層ビルの一角。大阪を見下ろすためにあるような大きな窓の役員室には五十代になんなんとする男がひとりたたずんでいた。山崎がドアをノックすると、秘書が入室を促し、ソファに座った山崎に深く一礼すると、今回は本当に申し訳なく思っている、と話し始めた。

 山崎は、工場勤務時代の部下だった役員から、二十年以上勤め上げた会社を突然解雇される。
 解雇を通達された帰り際、喪失感で呆然とする山崎は、長年通いなれた駅のホームのベンチで、通り過ぎる列車をただ黙って見送っている。駅の自動販売機で買ったみかんジュースをきっかけに、単身愛媛に向かう。

■ #2~#3


 特に行くあてもなく、夕暮れ時愛媛のとある無人駅で降りた山崎は、偶然犬の散歩で通りかかった柴原亜季の飼い犬「ぴお」に粗相をされる。謝罪する亜季にうまく対応できない山崎は、亜季に誘われるまま柴原宅へ訪問する。

 柴原宅前で、背広を着た銀行員高木とすれ違う。亜季と高木の間に、何か微妙な感情があることを山崎は何となく察知する。
 その日、山崎は柴原宅に泊まることになる。
 亜季は、何かに打ちひしがれた感じで陰があった。

 柴原亜季は、十五年前に他界した亭主が経営していた自宅兼雑貨屋を経営し、冴子、実紅二人を養っていた。冴子は、山崎に亡き父の作業ズボンを履かせる。

 その夜、誠実だが不器用な山崎が、一生をかけて勤め上げようとした会社にはなくなった居場所を探す旅。青春も生き甲斐も、会社の成長にすべてつぎ込んで生きてきた山崎の喪失感を、冴子は感じ取る。
 訥々とした山崎の身の上話を聞いた冴子は、山崎に心の整理がつくまで、柴原家に滞在してはどうかと持ちかける。

 夜、実紅の学校帰りを送ってきた隣家の蜜柑農家、柊銀次に怪訝な表情をされるが、冴子に取り成される。柊もまた、四年前に柊ほのかとの結婚を機に愛媛にきた他所の人間だったのである。柊が柴原家でタバコを吸おうとすると実紅に外で吸うように制止される。

 山崎の解雇を知って驚いた「日本ベル産業」時代の同期の古橋浩司から連絡がある。古橋は既に「日本ベル産業」を辞め「五洋食品」で部長をしていた。
 山崎の住んでいた奈良のマンションや退職後の手続き、これからどうするのかなど、さかんに問いただすが、山崎はうまく答えられない。

 見かねた冴子は、最近夫人が出産のため人手が不足している小出武の農家を手伝ってはどうかと山崎に勧める。うまく作業をこなせず、小出や柊に叱られる山崎。それでも黙々と作業を続ける山崎と、それを見つめる通りかかった亜季。

 山崎は、県立高校を卒業後、滋賀の「日本ベル産業」の工場で生産現場にいた時代のことを亜季に話す。町工場レベルだった当時、厳しく職人の元でしごかれた新入社員時代、バブルの到来でてんてこ舞いだった時代など、小さい会社がどんどん大きくなっていった経験があるから、山崎はつらくないと亜季に語る。

 そこに酒に酔った柊が現れ、まともに作業できない山崎が大きい顔をして柴原家に滞在していることをなじる。興奮した柊を止める亜季と実紅。おさまった柊がタバコを吸おうとするところを、山崎が外で吸うよう促す。「私も吸うんです」。

 翌朝、筋肉痛で起きられない山崎をよそに、実紅を学校へ送りに柊が柴原家にやってくる。柊は、大銀行「日都銀行」が経営破綻したことを亜季に伝える。
 どことなく、やつれた表情の亜季の元に、学校へ行く支度を整えた実紅が、今日高校の進路指導があることを亜季に話し、大阪の大学に行きたいと言い出す。
 溜息をつく冴子。山崎を起こしに行く柊。

(09:13 改行など改良)

 ○ 本ブログの題名「晴れるといいねっ!」について

 このサイトの名称が、えらく不評です。

 いちいち「うるせー馬鹿」と返答するのが面倒くさいぐらい罵声が来たので、ムカついてそのまま突っ走ることにしました。ご理解ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

 ○ 題材ごとにテーマを変更しました

 いくつかの作品を掲載しようと思っていて、全部「小説」カテゴリーだと分からなくなりそうなので作品ごとにテーマ設定をしました。

 あくまで試験的な措置なので、ムカついたらその旨TBでもかけてください。

 ○ ブログ読者の公開について

 なんか公開するしないで選択があるらしいのですが、どういう効能のある泉質なのかが分からなかったのでそのまま全員非公開のままにしています。

 公開したほうが良いのであればまとめて公開にするかもしれません。
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 この作品は、2002年10月に某国営放送局向けのドラマ脚本シナリオ案として納品した五本のうち、不採用となったものである。最終選考まで残ったが、ロケに時間がかかる、時代考証が広範に必要、他国の許諾や政治的背景が放送後の問題となりうることが主な理由となった。

 初稿なので、ロケハンもしていないし登場人物の設定等もほとんど作りこんでいない。時代考証もしていないので、事実関係の確認のうえでつらい部分もあるかもしれない。

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■ 導入  イエジの十五歳の誕生日は侘しいものだった。 極北の地ロスカトの村で年老いた母とまだ十一歳の妹とイエジの一家は、もう何年も前に政府から支給された擦り切れた薄い茶色の上下に身を包み、むき出しの足の指先が見える粗末な靴で厳しい冬を乗り切らねばならなかった。

 イエジの父親は一昨年他界した。1907年、イエジが三歳のとき、一家は政治犯としてワルシャワ郊外ミルカトからこの地シベリアへと抑留された。イエジの記憶には、父親が育んだ黄金色に広がる小麦畑も母親が焼き上げた黒パンの匂いもない。

 父親の逮捕は不運な偶然の賜物だった。ロシアからのポーランド独立が機運として盛り上がった1905年、ワルシャワへ向かう荷車に便乗させてくれと一人の男が父親に呼びかけた。父親は特に疑うことなく男を荷車に乗せてやった。みすぼらしい身なりながら、鋭い眼光を湛えたこの男が、ポーランド独立の指導者の一人であることに父親は気づかなかった。

 特に事件もなくワルシャワの中央市場に到着した父親は男を下ろして、積んできた野菜や妻の編んだ衣類などを市場で売り払ったが、いざ帰路につこうかというあたりでロシアの憲兵に拘束された。目撃者が、父親と独立主義者が肩を並べてワルシャワへ来たことを密告したのである。二年間の監禁のあと、幼い兄妹を連れてシベリアへ送還された。

 そのあと一家を襲った暗転を、イエジは知らない。実際の年齢以上に老いた風に見える母親は、父親ともども頑としてそのことを語らなかったのである。ただ、シベリアへ抑留される途中で病死した兄のことについてはまるで昨日のことのようにイエジに語った。

 その母親の命日は、イエジの誕生日となった。母親がイエジの誕生日を祝うために作ったささやかなご馳走を前にして、泣き崩れる妹をイエジは抱きしめる。この日から、身寄りのなくなったイエジは妹と二人で極寒のシベリアを生き抜かねばならなくなったのである。
 いままでボツになったとか、途中で萎えた創作ものを手直しして、掲載していこうと思います。

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